日記・雑談

母親に泣きつかれたし、私は彼氏に泣きついた

だらもとは数年前、1回目の離婚を機に東京から実家のある大阪に戻りました。そこで数年が経ち、東京の方が刺激が多そうだからまた戻ろうかな〜などと考え始め母親にも伝えてしばらく経った後、母から予期せぬ反応がありました。

この記事では、母と私の複雑な愛情、そしてそれが私自身の精神的な成長にどう影響を与えたかをお話しします…!

衝突の発生

だらもとの母は愛情深く、多干渉です。毒親といえば、毒親なのかもしれません。褒められたことはほとんどありませんし。ただ否定もされたことはないです、お金に裕福な家で好きなことはなんでもやらせてもらいました、一般的に見れば幸せな家族だったとは思います。

私が東京に住み、母が父と大阪に住んでいたときはあまり感じなかったのですが、私が大阪に引っ越してきてからの母親の愛情は凄まじく、私が一人で住むのマンションまで野菜やお惣菜を届けてくれたり、多い時は週3で晩ごはんに行ったり、話してても私の将来のことを心配してくれるような会話をしてきたり、あまり人とのコミュニケーションが得意ではない私は少しめんどくさいなぁと思っていたところでした。

先週、父と母と私の三人んで飲みに行き、その後に2次会として母と私だけバーに行きました(2次会に行かなくてもいいんだけど、悲しそうな顔をするのでいつも母と二人で2次会行くことにしてる)。お酒を飲んでいたので記憶は曖昧なのですが、最初は楽しく二人で飲んでました。後半私についての話になった時に、母は突然涙を見せました。

「東京へ行ってしまうと寂しい」という母の発言に、私はただ戸惑いました…。私の家族は当時、父・母・姉・私の四人暮らしで、姉と私が一人暮らしを始め、父と母は父方の祖父母の介護のため、山奥にある父方の実家に引っ越しました。

家族が離れ離れになり、介護が始まったことがその当時めっちゃくちゃ辛かったらしく、私や姉と離れて暮らしたことをすごく後悔したそうです。その思いが私の東京へ引っ越す発言と重なってぶり返したのか、バーでもその帰り道でも母親はわんわん泣いてしまって、私は落ち着かせるために「お母さん大好きだよ〜」とか「ずっと離れないよ〜」とか必死にそのことを伝えていました…。

精神的な影響

母親の涙というのは私にとって結構なインパクトがあり、この出来事は私に深い衝撃を与え、数日間は母親を泣かせてしまった後悔から、涙が止まりませんでした。

母親起因で追い詰められて落ち込むことは私の人生において結構な頻度であります。本当は誰かにすがって助けが欲しいのですが、父親は母親の完全な味方だし、姉は家庭があってそっちに注力して欲しいし、誰か他人が私の家族のことを解決できることではないし、私はこのことを一人で背負って生きていこうと決意しています。

ですがやはり耐えられず、やがて彼氏に自分の母親と同様、心の内を打ち明けるほどになりました。彼は夜遅いからと私を宥め、後に「君は母に対して優しすぎる」と助言してくれました。

この件では、母親にされて嫌だったことを私は彼にしてしまって大変後悔しています。

自己啓発の旅

母親に泣きつかれて数日が経ち、ちょっとずつ落ち着いてきました。

一歩離れて見てみると、やはり母親は私に対して愛情深すぎる、子離れできていない、私は自己犠牲で母親に接してしまう、そして落ち込む、人や環境に当たってしまう…何もかも悪循環だなと感じています。

今後の私については、とりあえずは自己犠牲の精神から脱却し、心理的な安全を保ちたいので、母とは距離を置くことにしています。あと、たまに発散するために姉に相談することを始めました。

母については、カウンセリングを促せないかなと思っています。突然話してもびっくりされるだけなので、年内は母親がカウンセリングの必要性を感じてもらうぐらいまでできたらなと。

結論

現在、母との関係は変わりませんが、私自身は少しずつ変化しています。母の深い愛情が時に重荷になることもありますが、それをどうにかして良い方向に導くために努力しています。

同じような状況にある女性、私この世の中にはたくさんいるのではと思っていて、この記事があなたの心に少しでも良い影響が与えられたら幸いです。私たちの経験を共有することで、一緒に成長し、より健やかな未来を築いていけたらと願っています。

ABOUT ME
だらもと
家電とガジェットが好きなアラフォー♀。自分がいいな!と思った商品や、商品を選ぶための過程などを紹介しています。在宅フルリモートワークなので、作業効率が上がるデジモノや気分の上がるインテリアが好きでよく購入します。